【高知 旧芳の沢小学校】朽ち行く木造校舎の残る美しい廃校

廃墟・廃線跡

木造平屋建て校舎の美学

高知県は大月町の町外れ、山の麓の集落にかつて小学校があった。1877(明治10)年に創立した旧芳の沢小学校である。2009(平成21)年3月をもって廃校となり、その長い歴史に終止符を打つこととなった。

小学校としての役割を終えた後も校舎や講堂はそのまま残され、これらは閉校後も地域のイベントなどで使われていたものの現在は使われておらず、どことなく寂しい雰囲気が漂っている。

校門・校庭

校門。

校門に繋がる道は思ったより綺麗である。芳の沢小学校のグラウンドは地域の避難場所に指定されているため誰かが手入れしているのだろう。

校庭には樹齢140年超えの栴檀(せんだん)の木が生えている。もはや誰もいなくなってしまった小学校を見守り続けている。

草をかき分け入り口へ。

綱引き用?の大縄がお出迎え。運動会でしかみたことないような大縄が何故ここに?

かつての生徒はここで靴を履き替えていたのだろうか。

廊下に段があり、片側に教室が並ぶ。今時の校舎には見られないスタイルである。

70年以上前の貴重な学校建築も今となっては朽ちていくのみである。せっかく美しい状態で残っているのだから放置するのももったいないとは思うが、再活用しようにもやろうとする人はいないし金もないとなれば厳しいものがある。

教室

入り口から入ってすぐ右の部屋。書類などが散乱し散らかっている。

学校旗もここに残されていた。

賞状に書かれた年号は昭和ばかり。

ここが小学校だったことを静かに物語る。

現代では少なくなってしまった石油ストーブとワープロの空き箱。時代を感じる。

続いて入り口から入ってすぐ左の部屋。卓球台が残されていた。

卓球台の部屋の隣。誰かが並べたのか、はたまた元からこの状態だったのか、当時の机と椅子が残されている。

開かれて置いてある教科書は間違いなく廃墟化してから誰かが置いたものであろう。この教科書がいつからここにあったのかはわからない。

落書き帳が残されていた。

後ろの席だから授業中に落書きしててもバレないとでも思ったのだろうが…

残念ながら見えている。しっかりと。なんなら全席丸見えである。

小学生時代、席替えで席が後ろになったらこれ幸いとこっそりお絵描きしまくっていた記憶が蘇る。あの頃の秘密の行動は全部バレていたと廃校で気付かされる真夏の昼下がり。

教卓には辞書が置いてあった。

しかしどう見ても新しすぎる。来訪者が置いていったのかわからないがこんなピカピカな辞書が当時の遺物であるわけがなく、違和感しか感じない。

学級崩壊していた。

このような天然の落とし穴にハマらないように気をつけなければならない、と口で言うのは容易いがどこが落とし穴かは見ただけではわからない。落ちなければラッキーだが、落ちたら一巻の終わりである。

今の学級崩壊教室の入り口。1学級ということは1年生教室なのだろうか。

隣の教室には大量の机とイスが積まれていた。先ほどの教室とは違いこっちは廃校らしい風景。

いかにも古そうな遺物。

家庭科室

そして隣は家庭科室らしい。

家庭科室らしい遺物はパッと見ただけでは見当たらない。校庭に白線を引く時に使うアレがあった。

この教室の入り口に謎の小動物の白骨死体があり、それにビビってこの部屋の探索をロクにしないまま立ち去ったのはまた別の話。

便所

廊下をまっすぐ行った突き当たりにあるトイレ。トイレの独特な匂いは健在だった。

割れた便器。さすがにここにトイレの花子さんはいないだろう。

音楽室

来た道を戻り、今度は反対側の突き当たりへ。

音楽室には様々な楽器が残されていた。

ちなみにこのアップライトピアノ、試しに鍵盤を押してみたところ音が鳴った。調律されていないとはいえ、この状況でも美しい音を奏でられるピアノの生命力に脱帽。

当時のものであろう遺物もあった。

もうこれらの楽器を演奏する人はいない。

図書室

図書室には大量の本が残されていた。

小さい頃読んだような気がする本たち。どことなく懐かしい気持ちになる。

こっちは勉強本コーナー。少年時代の筆者ならまず近寄らないだろうコーナー。

自然に還りつつある本も何冊かあった。

こういう廃墟を訪れた時にいつも思うが、こういった遺物をどうして廃校になった時に誰も持っていかなかったのだろう。先ほどの音楽室にあった楽器にしても綺麗な状態で売ればそれなりのお金にはなっただろうし、楽器としても新たな人生を歩むことができるのに…。

乱雑に本が積まれている。

ここで校舎内の探索は終了し、今度は校庭から教室内を眺めてみる。

校庭から

ミシンを発見。先ほど校舎内を探索していた際に見落としていた。

ミシンの横にはキーボード?も残されていた。現代のミシンはこのような机に固定されているタイプではなく持ち運びできるタイプが主流なので貴重な遺物である。

音楽室を校庭側から。

ここで時間の都合上探索を終了することにした。年季の入った木造校舎が綺麗な状態で残されておりとても良い廃墟だったが、どうしても時の流れには逆らえず腐って脆くなっている箇所もあったため訪れる際は注意してほしい。いや、そもそも行くことをお勧めしない。廃墟は危険である。

アクセス

〔バス〕

高知西南交通「弘見」停留所から徒歩約30分

〔車〕

宿毛駅から一般道で約30分

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