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〈春の山口ぶらり旅2025〉知る人ぞ知る野鳥の楽園、日本海の絶景島を目指す!②

絶景・自然

2日目 萩・見島

2日目の朝は益田から。

朝食ビュッフェがついていたプランだったため、何回もおかわりしてのんびり食べつつ何気なく時計を見ると、いつのまにか列車の発車時刻15分前!

さすがに大焦りし、残りを急いで食べ切り、チェックアウトして駅まで全力疾走。結局駅には発車数分前に着いたからよかったものの、朝からこれでは先が思いやられる。とことん自由な一人旅だが、発車時刻ギリギリになっても注意してくれる人がいないとこういうことが起こり得る。

時間ギリギリの乗車だったのにも関わらず、日本海側の窓際席を確保できた。次の列車は約3時間半後なのにこの乗車率なのはなかなか厳しいものを感じる。

今回のぶらり旅お品書き


・【鵜山のグロ】小さな山に残る、造られた理由、時期、用途など全て謎の遺跡

・【大井の人面岩】世にも不思議な「人面岩」 雄大な自然が作った芸術作品

2日目


・【萩城城下町】明治維新を支えた、日本史のヒーローたちの故郷

・【見島①】日本海に浮かぶ歴史のある離島 ここでしか見られない絶景がいっぱい!

3日目

・【見島②】渡り鳥の楽園見島 会えたら超ラッキー、激レアなあの鳥が!

明治維新のヒーローたちを産んだ城下町、萩

窓の向こうに広がる雄大な日本海。日本屈指の絶景路線である山陰本線だが、利用客数はそれほど多いわけではない。実は大赤字路線なのだ。

旅人からすると静かな車内でゆっくり景色を眺められるため良いが、JRにとっては非常に頭が痛い問題となっているのだろう。今のところは大丈夫かもしれないものの、もしかすると近い将来廃線案が出されてしまう可能性もないとはいえないので、今のうちにたくさん乗って応援したい。

益田からおよそ1時間15分、東萩に到着。

城下町の代表駅らしい駅舎。

駅から歩いておよそ20分、松陰神社に到着。

松蔭先生率いる、幕末の志士たちの母校「松下村塾」

松陰神社の境内に残されているのは、日本史を学んだ人なら一度は聞いたことがあるであろう「松下村塾」。吉田松陰が教鞭をとった私塾で、明治維新の立役者となった志士の多くがここで学んだ。初代総理大臣伊藤博文や奇兵隊で知られる高杉晋作も松下村塾の卒業生である。

当時のままの建物が残されている。

かつてここで明治維新のヒーローたちが学んだと考えるととても感慨深い。明治維新はここから始まったと言っても過言ではないのだ。

吉田松陰は老中暗殺計画に関わった疑いを受け29歳で処刑されてしまうが、松蔭先生の思想は確実に受け継がれており、今の日本の形につながっている。もしも松下村塾がなかったらどんな日本になっていたのだろう。

初代総理大臣 伊藤博文の旧宅

松陰神社からほど近い場所に藁屋根のこじんまりした家がある。これこそ初代総理大臣伊藤博文の旧宅である。元々百姓の子だった伊藤博文はこの家から松下村塾に通っていた。

そして旧宅の横には伊藤博文の別邸の一部が保存されている。これは明治40年に東京に建てられた別邸を移築したものだそう。

明治天皇から下賜された灯籠や、巨大な一枚板天井など見どころがたくさん。

隣の小さな旧宅と立派な別邸との対比がまた面白い。

長州の武士たちが学んだ藩校 明倫館

松陰神社まで一旦戻り、そこからバスでおよそ10分。かつて長州藩の藩校であった明倫館に到着。

この建物自体は1935(昭和10)年に建てられて2014年まで明倫小学校の校舎として使われていたもので、小学校が隣接地に移転してからは萩市の観光拠点施設として使われている。いいなあ、こんな立派な小学校に通ってみたかったなあ。

廃校の朽ち果てた木造校舎も良いが、綺麗に整備されて残されている木造校舎もまた良い。筆者は好き好んで廃校ばかり巡っている不審者なので、何気に綺麗に保存された木造校舎を見るのは初めてである。

建物の隣には「明倫館」の文字が刻まれた門が残る。これはかつて明倫館の門として使われていた門だそう。他にも残る明倫館の遺構ももっとじっくり楽しみたかったが、船の出航の時間が迫ってきたため先を急ぐことにする。

明倫館から近かったためちらっと寄ってみた白壁。この場所、萩を紹介するポスターによく載せられている気がする。

いよいよ見島へ!

そして萩まぁーるバスに乗って萩港へ。ここから見島行き高速船に乗り込む。

この日は普段より波が荒れていたらしくとんでもなく揺れていた。

そんな荒波の日本海に抗いながら萩港からおよそ70分、ついに見島本村港に到着!

1000年以上前の古墳が残る!見島ジーコンボ古墳群

見島自体はそれほど大きい島ではないが小さくもなく、徒歩で島内を巡るのは厳しいためレンタサイクルを利用した。萩市役所の見島支所で電動自転車を借りることができる。価格はなんと無料!

まず訪れたのは見島東部に位置する見島ジーコンボ古墳群。7世紀後半から10世紀初頭にかけてつくられた古墳らしく、なんと約200基もの古墳がこの場所に残っているらしい。

何も知らずに見るとただの石積みに見えるかもしれないが、その石積みには1000年以上前の人々の思いが込められている。見島の長い長い歴史を感じる。

ジーコンボ古墳群の近くで見つけたノビタキ。ノビタキは夏鳥なので、夏になると大陸方面から日本に渡ってくる渡り鳥である。長旅の疲れをここで癒し、お腹いっぱい食べてから本土へ向けて飛び立って行く。

畑をとことこ歩くノビタキくん。この小さな体でどうやって海を渡っているのだろう。

海を背景に、ノビタキの女の子。この子ももちろん海を渡って日本まで飛んできている。自然ってすごい…。

島の北側宇津地区へ!

見島にはさっき船を降りた見島南部の本村地区に加え、もう一つ北部に宇津地区という港町がある。実は宇津地区の方に絶景スポットが集中しているらしく、それならばと自転車で山を越えて島の北側を目指すことにした。

電動自転車だから坂道も楽々!

移動中に見つけたミヤマホオジロ。ミヤマホオジロは冬鳥なので、夏鳥とは逆に見島から大陸を目指して飛び立つ。見島は渡り鳥たちにとって重要な補給基地になっている。

宇津地区に到着。

宇津漁港。

めっちゃ良い路地。

見島で唯一の砂浜 砂見田海水浴場

宇津漁港に隣接する砂見田海水浴場。離島らしくとても美しい砂浜だった。

すぐそばにいたジョウビタキくんたち。たまたま2羽仲良く並んでくれた。

全国に三ヶ所しかない正観音堂の一つ 宇津観音堂

海水浴場のさらに奥、少し丘を登ったところに鳥居がいくつも並んでいる。

鳥居をくぐると宇津観音堂にたどり着いた。日本に三か所しかない正観音堂の一つらしく、遠方からもはるばる参拝者がやってくるらしい。それにしてもどうやってこんな崖っぷちの場所にお堂を造ったのだろう。

絶景広がる大平原 観音平

観音堂の隣に広がる大草原。

草原の先に建てられた小さな鳥居、その向こう側を覗いてみると…

岩の上に小さな祠が!

火山の噴火によりできた見島オリジナルの巨岩が見れるのはここだけ。

2つの鳥居を一緒に。この景色を独り占め!

散策はこの辺りにして今晩の宿がある本村地区に戻ることにした。

見島の“島猫”たちと遭遇!

自転車を返し、宿を目指して歩いていると猫たちと遭遇。なんか…多くない?

久しぶりによそ者に出会ったのか興味津々でこちらの様子を伺ってくる。

全離島マニアにとっての一番の楽しみ、それは島猫との出会いに違いない。しばしにゃんこと戯れ。

猫がいる港は栄えるという話を聞いたことがある。確かに、漁業が盛んな栄えている漁港に行くともれなく猫と出会うような気がするし、実際見島も漁業が盛んな離島である。

以前訪問した相島(福岡)など、そんな猫たちが有名になり観光客が訪れるようになった島もあるし、結局人間はにゃんこの可愛さに支配されており、にゃんこが世界の経済を回しているのかな、と。招き猫という言葉も生まれるべくして生まれた言葉なのかもしれない。

地元の食材を堪能!見島の旅館

本日の宿、赤崎旅館にチェックイン。

ロビーは地元の民宿といった雰囲気でとても良い。

ここで夜ご飯!

なんと一人前でこの量。これこそ最高の贅沢である。

見島で獲れた新鮮な海産物を心ゆくまで堪能することができる。プリップリのお刺身はもう最高!

それに加え、天ぷらや肉じゃがといった心温まる味付けの料理や、これでもかというほどの量のお米など、一品一品全てが美味い!まさに夢のようなひと時だった。

そしてゆっくりお風呂に浸かり、湯上がり気分で部屋に戻ったところまでは覚えているが、のんびりする間もなくすぐに寝てしまったため2日目はここで強制終了となってしまった。

第3回に続く

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